みなさんこんにちは。慌ただしく始まった今学期も2ヶ月が経とうとしています。今回は2022年4月9日〜22日に弊チームが佐賀大学美術館にて開催した「鳥栖未来計画 成果展」よりパネルトーク都市計画編をお届けします。
今回は時間の都合で来られなかった方にも改めて展示を振り返りたい方にもおすすめの記事です。ぜひお手隙の際にご一読ください。
鳥栖未来計画とは?
鳥栖未来計画(以下、「本計画」)は佐賀大学の学生による任意団体Make-Senseが鳥栖市議会自民党鳥和会の依頼により実施する鳥栖市中心市街地の都市空間再編計画です。本計画では都市デザインや視覚伝達デザインの学生が協働し、JR鳥栖駅の駅高架化を前提とした鳥栖駅周辺の都市空間再編について提案しています。※弊チームのホームページに移動します。
展示について
昨年10月の第1回最終報告時にコンセプトパネル及び3Dプリンター中心市街地模型を制作しました。本展はこれら最終成果物の展示を通して鳥栖駅高架化事業に伴う都市空間再編のメリットを来館者の皆様に明示するとともに、次世代の鳥栖市のイメージの共有を目的に開催しました。
|初めに
私は佐賀大学芸術地域デザイン学部で都市デザインを学んでいる高桑と申します。弊チームではトップディレクターとして各種プロジェクトの企画立案を統括しています。今回の記事では鳥栖未来計画について、そして鳥栖駅の問題について皆さんに少しでも知っていただけたらと思います。
|都市計画って?
皆さんは「都市計画」と聞いて何を想像しますか?高いビルや公園,地図など人によって想像するものが違うと思います。そう、実は都市計画には多種多様なジャンルが存在するのです。ちなみに都市計画法では都市計画について以下のように定義されています。
この法律において「都市計画」とは、都市の健全な発展と秩序ある整備を図るための土地利用、都市施設の整備及び市街地開発事業に関する計画で、次章の規定に従い定められたものをいう。(都市計画法第4条1項より)
具体的には道路や公園の整備、新しい商業施設の開発まで日常生活のありとあらゆる所に都市計画が関連しています。人々の歩く動線や公園での過ごし方にも都市計画は大きな影響力を持っています。ゲームでいうと、「あつまれ動物の森」や「トモダチコレクション」などの経営シミレーションゲームの類を現実世界でやっているようなものです。都市計画と聞くと人工的で無機質な印象を持つ方も多いですが、都市は生き物であることから意外と人間味のある分野でもありあます。(例:政治判断により都市計画が大幅に変更されるなど。) 人々の生活と都市計画の関係性はまた最後にお話しようと思います。
長くなるので詳細は省きますが、「都市計画が都市の変遷に欠かせない存在である」とだけ認識いただけますと幸いです。
|鳥の栖、鳥栖
鳥栖という地名は、その字のとおり「鳥の栖(すみか)」という意味です。奈良時代に書かれた「肥前風土記」によると、ここに住む人々が鳥小屋を作り、雑鳥(くさぐさのとり)を捕まえて飼い慣らし、朝廷に献上したことから「鳥屋の郷」(とりやのさと)、「鳥(巣)郷」(とすごう)と呼ばれ、のちに鳥栖という地名になったと伝えられています。自然に恵まれた鳥栖市では、同市と福岡県筑紫郡那珂川町にまたがる九千部(くせんぶ山の山麓や河内ダム周辺はもちろん、市内全域で多くの野鳥を見ることができます。市の鳥である「メジロ」や佐賀県の鳥「カササギ」はちろん「ヤマガラ」や「モズ」、「カワセミ」や「ヒバリ」、「ヒヨドリ」など、これまで147種の鳥が確認されています。(※鳥栖市公式ホームページより引用)
本計画では鳥栖の名前の由来にあやかり、子供から高齢者まで全世代が安心して暮らせる都市空間再編のあり方を考えています。またそのような空間の実現には鳥栖市の玄関口であるJR鳥栖駅周辺の都市中核機能の再編と強化が必要であり、提案においては「商業の発展性」よりも「暮らしやすさ」や「心理的安全性の確保」が求められることでしょう。
そこで私たちは現在の鳥栖駅のようにつばめなどの鳥、自然動物と鳥栖市民が共生できるような緑豊かな都市空間の確保を今回の提案のベースとしています。従来の駅前再開発では商業床面積を増やすために垂直方向への都市開発を基本としますが、鳥栖市の場合はグランドレベルでの開発を前提とし、商業発展よりも住環境の向上に注力すべきであると私たちは考えています。
しかしながら今日の駅周辺再開発は商業面積の拡充を前提とした開発が圧倒的に多いのも事実です。商業発展に注力しすぎた結果、その地域の独自性や魅力を活かせていない再開発も目立ちます。このように鳥栖の本来の魅力を生かしながら我が国における駅前開発の課題を克服して行くことも今回の計画の1つのミッションです。
|交通の要衝
鳥栖市を含む一帯は古くから北部九州における交通の要衝として重要視されてきましした。何はともあれ東に行けば大分、西に行けば長崎、南は熊本、北は福岡と交通経路が交差する位置にあるのが鳥栖市です。その地理的重要性を活かして明治22年(1889年)に鳥栖駅は開業しました。開業130年を超えるJR鳥栖駅ですが、120年近く同じ駅舎が鳥栖の街を見守り続けています。(※現在の駅舎は明治36年に新築、その後増改築を繰り返す) 戦後はモータリゼーションの進行が交通要衝としての鳥栖市の存在を強めました。1950年代の国道3号線,34号線の整備に始まり、1970年代、80年代の鳥栖JCT整備によって現在の鳥栖市の道路骨格が形成されました。鳥栖市は1950年代の早い段階で産業団地の開発、及び企業誘致に注力したこともあり、戦後は数多くの企業が市内に工場や倉庫を設けています。当時から鳥栖市の歴代市長は「九州の位置エネルギー」を謳い企業誘致や住宅開発に注力してきました。前項で述べた自然環境の保全だけではなく、地理的優位性を活かした産業開発が鳥栖市の発展に欠かせない要素であるといえます。
平成に入ってからは北部丘陵地帯開発事業や蔵上地区土地区画整理事業に見られるように市内の新興住宅地開発が進められました。これは福岡都市圏への通勤利便性と他の地域に比べて住宅価格が安価であることが要因であると考えられます。また2011年には九州新幹線の新駅である新鳥栖駅が開業し、新鳥栖駅と鳥栖駅の連携と回遊性の向上も課題となっています。
このように鳥栖市の都市開発はハード整備を主体として進行してきた経緯があり、今後は整備してきた社会インフラの維持が必要になってくることでしょう。特に道路開発においては鳥栖市のみならず近隣都市にも開発影響が及ぶため、より広範囲なスケールで都市のあり方を考えて行く必要があります。もしかしたら私たちは「位置エネルギー」を活かしながらどのように次世代の鳥栖市のあり方を考えていくかが問われる岐路にいるのかもしれません。
|鉄道高架の必要性
鳥栖駅周辺の発展において重要な争点となっているのが駅の東西連携です。元々、鳥栖の中心市街地は駅西部をメインに発達してきました。駅西部には本通筋商店街や中央公園、中央市場など古くから商業機能や都市機能が集積していました。駅東部は元々、広大なヤード(鉄道関連施設,操車場)があったことと農耕地が広がっていたことにより長らく開発が進まない状態にありました。鉄道の電化に伴い、1960年代後半から徐々にJR鳥栖駅の鉄道関連用地の縮小が開始されました。その結果、1984年にはヤードが廃止され、1996年にはサガン鳥栖の本拠地である「鳥栖スタジアム」がヤード跡地に完成しました。しかしながら鳥栖スタジアム側(駅東側)に改札口が新設されることはなく東西連絡橋(通称:「虹の橋」)が整備されたのみでした。
自動車で駅東西を往来するには駅北側の高橋(陸上交差)もしくは駅南側の藤木地下道(アンダーパス)まで迂回する必要があり、この区間の往来を不便に感じている住民も少なくありません。30年以上前から鳥栖駅の高架化、橋上化については市政の主要議題になってきましたが他の優先課題(道路整備、住宅開発、新鳥栖駅の開発など)が山積みであったため度々見送られてきました。
このように鳥栖市はポテンシャルを持った都市であるものの、財源に対して実施すべき都市開発のスケールが大きすぎることが都市発展における阻害要因となっています。これに加え、もう1つ鳥栖の都市開発における課題があります。それは「市民の関心が十分でない、市民の声を拾い上げられてない」ことだと私は感じています。そこで本計画では市民の皆さんに次世代の鳥栖駅のあり方について夢を持っていただけるような、そして実現に向けて議論いただけるような提案を目指しています。さて、これで鳥栖市の特徴と鳥栖駅の問題をある程度ご理解いただけたかと思います。次回は本計画の具体的な提案内容についてご紹介していこうと思います。どうぞお楽しみに。
|あとがき
今回の展示でよく、「なぜMake-Senseが鳥栖駅の整備計画をやっているの?」と質問されることがありました。表向きの理由は「鳥栖市議会自民党鳥和会から業務委託を受けたから。」です。しかし今回、弊チームが本計画を始めたのにはもう1つ理由があります。それは弊チームトップディレクターの二人(小澤,高桑)が鳥栖市にゆかりがあることです。小澤は鳥栖市在住、そして私は祖父母が鳥栖に住んでいた、父親が鳥栖市出身、祖父が鳥栖駅の近くでプロパンガス屋を営んでいたのです。さらには30年近く前に叔父が鳥栖スタジアムに関する卒業研究を発表していました。
最初、鳥和会からお話をいただいた際は非常に迷いました。それはなぜかというと、佐賀県において学生に対して都市計画分野でこれだけ大規模な提案を業務委託するという前例がなかったからです。しかし先述した理由でこれは自分に対する使命だと感じ、メンバーと相談して受託しました。このように個人的な動機もあったからこそ、今日まで計画に行き詰まっても本計画の調査を継続できているのだと自負しています。本計画がスタートして1年半になりますが、ようやくスタートラインに立てたかなと感じているところです。(次回に続く)
展示に関する問い合わせ先: makesense.official2019@gmail.com
展示責任者:高桑 正誠,小澤 健(Make-Senseプロジェクトディレクター)
Make-Senseの最新情報
弊チームは「地方創生」と「アート」を軸として佐賀を拠点に活動するプロジェクト&デザインチームです。佐賀大学芸術地域デザイン学部に在学する学生で構成されています。弊チームに関する詳細は公式ホームページからご覧いただけます。
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